2011年2月6日日曜日

リーダーシップの言葉考:放駒理事長&親方

子供の頃、相撲をみていて好きな力士だった関脇魁傑(その後、大関)、今は放駒理事長。
2010年8月、野球賭博問題が出る中で、武蔵川理事長を引き継いだ。そもそも大変な中で
引き受けたわけだから、火中のクリを拾う苦しいお立場だろう。

放駒理事長として、今回の問題も大変な心痛。実直な人柄から、本当に応援したくなります。

しかし、今回の問題、現在までの記者会見などで「2つの発言」に意見。
リーダーであれば、考えたい。

1.「過去には一切、八百長はありません。」
週刊誌に勝訴した後、相撲協会としては、過去には一切ないことが判明した、という立場だろう。
しかし、新たな事実が出ている今、奈良時代から続く相撲の歴史の中で、一切ない、とは言えない
はずだ。ましてやこれから全容を解明すると来ている。

「八百長は一切ないものと信じてきたが・・」「不届き者の行った悪質行為・・」
とするべきだと思います。

2.「全容を解明するまで、本場所は開催しない。」
私は、本場所の開催が誰のどのような権限で行われるのかは、知らない。しかし、
「全容を解明する」ことは、本当に難しい。仮に解明した、として開催した本場所
の後、万日、新しい、異なる事実が出てきたらどうするのか。
「徹底的に調査を行い、一定の事実の解明が十分にできた場合には、開催する」
「悪質な力士を処分した後には、・・・」などとするべきかと。

組織を守り抜くべきリーダーであれば、このような、NO(まったくない)やALL(すべて、絶対)の
発言は、意思の表明など以外では、なるべく使わない方がよいはずだ。

プロレスで、馬場や猪木が勝ったり負けたりする時は、だれも八百長と言わなかった。
明示されていなくても、これは何か筋書きがあるのではないか、というのが、大半の思い
だったのではないか。

馬場が十六文キックをやったり、猪木の4の字固めが見られれば、楽しかったはずだ。
それが「興業」なのだろう。

相撲も元々は「興業」であるはずで、みんなが楽しめる相撲を全国行脚して見せて回った
ものなのでしょう。多少、身を守るため、楽しませるため、筋書き的なものを持っていた
可能性はあると思います。(と思っていた人も多いと思います)

もちろん、最近は、国技として、純粋なスポーツとして、認識されている。また、
コンプライアンス意識は、政治でも経済でも高められているのが背景にある。
当然、相撲界からも「悪」は追放されないといけない。

従って八百長を肯定するつもりは一切ありませんが、トップは、不祥事を起こした一部の社員や
メンバーにより、組織全体や、他の正しい人を犠牲にさせてはいけません。


理事長の心痛を思い、実直なお気持ちに敬意を払いつつ、ついリーダーシップというもの
を考えてしまいました。

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